こんにちは。ボン姉です。
新型コロナの影響で、お出掛けを控える傾向にある日本。
表参道もいつもより人が少なめです。
外国人観光客の減少、また在宅勤務に切り替えた人々などの影響が如実に現れています。
が、表参道界隈には平日の昼間だというのに中高生と思われる学生さん達の姿が…
休校になった学生さん達が表参道に遊びに来ている様です。
政府の対策の意味ないじゃん…なんて思ってしまいますが、中高生の気持ちも分からなくないような気もするし…。
私が今の中高生なら、同じ事してた気もしますしね。
とにかく、一刻も早く元の生活をみんなが取り戻せますように。
本日は世の中の自粛ムードに伴いグルメブログはちょっとお休みして、表参道の歴史についてご紹介したいと思います。
この機会に、普段何気なく遊びに来ている表参道の歴史を知って、より表参道を好きになって貰えたらと思います。
表参道とは?
「表参道」とは、実は地名ではありません。
「表参道」という住所はないのです。
ですが、地下鉄の駅には「表参道駅」があります。
「表参道」とは、青山通りと明治通りを縦に結ぶ通りのこと。
表参道のメインストリートのことが「表参道」なのです。
なんか変な文になってしまいましたが〜
とにかく地名ではなく、「表参道」は通りの名前なのです。
この通りはなんと2020年の今年、開通100年を迎えます。
今や東京の観光名所のひとつにも挙げられるほどに発展を遂げた「表参道」。
「表参道」がどの様に生まれ、どの様に発展して、現在に至るのか、ご紹介させて頂きます。
表参道の誕生
「表参道」は、1920年(大正9年)11月1日に創建された明治神宮への参道として開通しました。
全長約1km、幅約35.5mの参道は、ただ明治神宮に向けて真っ直ぐに作っただけではありません。
夏至の日の正午には太陽が参道の真上に、また冬至の日には明治神宮の方向から参道の中心を日が昇るよう設計されています。
地元住民の中でもこの事をご存知の方、何気に少ないんですよね。
私は代々表参道に住み続けているご近所さんから教えて貰いました。
この事を知って、あらためて表参道を歩いてみるとホントだぁーと、ちょっと感動しちゃいますよ。
特に冬至の日の明治神宮の方向から参道の中心を日が昇る様子は神々しく、冷たい空気の中あたたかい陽射しが体を包み込んだ時の身も心もほぐれていく感じが何とも言えないんですよね。
とってもホッと出来て、癒されるのです。
これは是非、皆さんにも体験して頂きたいです。
現在の「表参道」には、通りの左右にケヤキがたくさんあり、立派なケヤキ並木になっています。
でもこのケヤキ並木は、実は「表参道」の開通当時はまだありませんでした。
「表参道」開通の翌年にケヤキの若木200本が植えられたと言われています。
そしてこのケヤキの成長を考えて、「表参道」に先進的な工夫を凝らしたのです。
それは〜
電線の地中化!
表参道を歩いていて、電線がない事に気づかれましたか?
電線がないからこそ、「表参道」は外国の様なおしゃれな雰囲気があるのですよ。
表参道では、なんと「表参道」の開通当時の1920年(大正9年)11月1日から電線は地中化の造りとなっているのです。
大正時代からですよ。
凄いですよね。
この事から、早くから「表参道」の街づくりは、未来を見据えて、見た目にこだわって行なわれていたことが分かります。
ちなみにケヤキを植えた理由は、四季折々で表情を変えるケヤキから無常を教わると共に、変化を恐れることなく発展していきたいという願いによるものだそう。
ケヤキは落葉樹なので、秋になると葉を落とし、通りは沢山の枯れ葉で埋め尽くされます。
この枯れ葉の清掃はとっても大変なんですよ。
枯れ葉のシーズンになると、毎朝早くから表参道沿いのビルの清掃の方達が、通りの枯れ葉の清掃をしているのです。
毎朝毎朝寒い中、せっせと枯れ葉を掃き集めています。
雨の日も、もちろん休みません。
雨で濡れて重くなった枯れ葉を一生懸命集めて、ゴミ袋に入れている姿には頭が下がります。
この様に手間がかかるケヤキを守り続けているのは、ケヤキを植えた想い
[四季折々で表情を変えるケヤキから無常を教わると共に、変化を恐れることなく発展していきたいという願い]
によるものなんでしょうね。
「表参道」にとって、ケヤキ並木はもはやシンボルとなっています。
その景観を壊さないよう渋谷区は近隣に建設する建物の高さを最高30mに制限する取り組みを行っているんですよ。
ご存知でしたか?
こうやって「表参道」は、様々な形でその景観を守られているのです。
オリバー・L・オースティン
こんな「表参道」ですが、戦後までは明治神宮への参拝客や近隣の住人のみが使用する静かな通りだったのだそう。
のどかな通りで、当時の雰囲気から現在の表参道を想像するには難しいですよね。
オリバー・L・オースティン
表参道と言って忘れてはならない存在が「同潤会青山アパート」。
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災の後、政府によって結成された財団法人同潤会の事業の一環として建設された集合住宅です。
2003年に老朽化のため解体されました。
その跡地に建てられたのが、表参道ヒルズになります。
表参道ヒルズの一部には、この「同潤会青山アパート」の一部があえて残されています。
朝日新聞
「同潤会青山アパート」は建設当時としては珍しい賃貸形式の住居施設でした。
その後の集合住宅の先駆け的存在だったそうです。
また、造りも凄いんですよ!
日本初の鉄筋コンクリート製!
しかも耐震・耐火設計も備わっていたため、1945年(昭和20年)5月25日に起きた東京大空襲の際も、このアパートだけでなく、建物前のケヤキまでもが無事だったと言われています。
しかし、この東京大空襲によって表参道全体は壊滅状態となり、ケヤキ並木も13本を残して全て燃え尽きてしまったのだそう。
世界大戦終了後、ケヤキは近隣団体によって2年掛かりで植え替えられました。
現在のケヤキ並木はその時のものとなります。
表参道の発展
オリバー・L・オースティン
世界大戦後の1946年、表参道を登りきったところにある代々木公園に、アメリカの進駐軍は在日米軍施設である「ワシントンハイツ」をつくりました。
オリバー・L・オースティン
実はこれが「表参道」の発展のきっかけとなります。
周辺には「キディランド」や「オリエンタルバザール」など、アメリカ人向けの商業店舗が造られます。
この時代には珍しかった海外の商品などが日本人でも買う事ができるということで、表参道周辺には徐々に感度の高い人々が集まる様になっていったのです。
そして「表参道」の発展に欠かせないのがもう一つ。
それは東京オリンピックです。
1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックの頃には、代々木公園に造られた「ワシントンハイツ」がすでに日本に返還されていました。
その跡地が選手村として使われる事になります。
オリバー・L・オースティン
それにより表参道周辺にはたくさんの国々の人々が来る様になり、さらに異国情緒が漂う様になりました。
そしてこの東京オリンピックを境に、クリエイター達から注目を集め始めることとなった建物があります。
それが「セントラルアパート」!
1958年(昭和33年)「セントラルアパート」は戦後日本に駐在していた外国人用の高級賃貸マンションとして、表参道沿いに造られました。
「セントラルアパート」は1998年(平成10年)に解体されました。
その跡地に建てられたのが、「東急プラザ表参道原宿」になります。
「セントラルアパート」は昭和30年代後半になると、アパートは上層階に事務所、下層階に店舗が入居するという形になり、アパートにはカメラマン、コピーライター、イラストレーターなどのクリエーターが多数入居、ここに事務所を構えることが文化人のステータスとなりました。
また、1階に入居していた喫茶店 『レオン』は、マスコミ関係者が多く集まることで知られています。
アパートの地下には1973年(昭和48年)、ブティック街 『原宿プラザ』が開業。
『原宿プラザ』は一時、ロックミュージシャンなども訪れるアングラ的なマーケットとして原宿の名所となっていました。
この様に「表参道」は、早くから異国情緒が漂い、感度の高い人々が集まり、様々な文化の発信地となっていったのです。
さて、本日はこの辺で失礼させて頂きます。
ボン君が首を長〜くしてお散歩を待っているので、お散歩にそろそろ連れて行かなくてはです。
続きはまた次回に!
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