こんにちは。ボン姉です。
新型コロナウィルスの感染者が大幅に増加している東京。
この週末は外出自粛要請がだされました。
今がまさしく正念場の様ですね。
春めいてきた気候に誘われてお出掛けしたくなりますが、ここはグッと我慢しなければです。
という事で?
このブログもまたまた少し自粛モードに。
何よりグルメブログ書いてると食べに行きたくなっちゃう私なので、私のための自粛モードブログですかね。
皆さま、お付き合いのほど、宜しくお願い致します。
以前、表参道の歴史について書かせて頂きました。
今回は表参道と渋谷を繋げる道「キャットストリート」の歴史についてお話させて頂きます。
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キャットストリート
「キャットストリート」とは、明治通りと並行した渋谷と表参道を結ぶ通りです。
なだらかなカーブの通りで、車も通れますが、ほぼ?歩行者専用道路になっています。
この「キャットストリート」は、現在は若者に人気のトレンドに敏感なお店が連なります。
実はこのエリアは表参道界隈では、最も古い歴史を持つエリアなんです。
縄文時代から人が住んでいた、とも言われているのですよ。
それはあちこちから遺跡が出土しているため。
実はこのエリア、文化財保護区にも指定されているのです。
渋谷文化PROJECT
この「キャットストリート」、元々は川が流れていました。
「キャットストリート」は旧渋谷川遊歩道とも呼ばれています。
そう、流れていた川とは渋谷川なのです。
この「キャットストリート(旧渋谷川遊歩道)」界隈は「穏田」と呼ばれていました。
約400年前、徳川家康が伊賀忍者の一族郎党をここに住まわせたことから、忍者の隠れ里として「隠田(おんでん)」となり、その後「穏田(おんでん)」という漢字が使われたことが由来だそう。
当時、この界隈はのどかな農村でした。
現在の「キャットストリート」がある場所には渋谷川が流れていて、穏田には渋谷川の水流を利用した水車があちこちにあったのだそう。
その光景は葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ「隠田の水車」に描かれています。
Wikipedia
江戸時代に入ると、穏田から渋谷川の下流に広がる一帯には、起伏に富み高台の多かったことから大屋敷が増えていきます。
明治時代には、皇族「梨本宮家」の広大な邸宅が2万坪を占めるようになります。
「キャットストリート」の最も渋谷側にあたるエリア、現在の「渋谷キャスト」や再開発中の宮下公園があるあたりは宮下町という地名だったのですが、この宮下町という名前は、この梨本宮邸の下に位置するということが由来しているのだそう。
こちらの動画の最後の方に「渋谷キャスト」周辺が映っています。
よろしければご覧下さい!
そして太平洋戦争後、このエリア一帯が大きく整備され、現在の姿に近づきます。
穏田には木造の平屋や二階建ての民家が密集し、渋谷川は近所の子どもたちの遊び場となっていました。
しかも渋谷川は魚が泳ぎ回る清らかな小川だったそうで、一説には童謡『春の小川』のモデルになったともいわれています。
また、商店街もあり、戦前から周辺の住人の“台所”として賑わっていたそう。
その名残が現在でも「キャットストリート」にあります。
古い八百屋さんやお米屋さん、酒屋さんが「キャットストリート」と明治通りの間でいまだに営業しているんです。
こんな穏やかな風景が様変わりしたきっかけは、1964年の東京オリンピックです。
この頃になると渋谷川は既に周辺の民家からの生活排水で汚染が進んでいたのだそう。
そこで渋谷川は暗渠化され、アスファルト舗装の道路となります。
また当時はまだ住宅街だったので、このエリアには子どもたちが大勢いました。
が、周辺に公園がなかったのです。
そこで、暗渠化されアスファルト舗装の道路となった渋谷川に、滑り台やブランコ、砂場などが作られました。
この滑り台やブランコや砂場、私もよーく遊ばせて貰いました。
またゴム跳びしたり、蝋石遊びしたり。
たかおに、どろけい、はないちもんめ…とか、「キャットストリート」では色々と遊びました。
また「キャットストリート」では、ときおり迷子犬がいて、私はよく保護しては家に連れて帰って、その後私の母が飼い主さんを探してくれたりした思い出があります。
こう思うと、私は子供の頃から犬が好きだったのだなぁと思います。
シェパードとか保護して、母に驚かれた事もありました(笑)
子供の頃からどんなに吠えられても犬を怖がらなかった私は、犬に近づき過ぎて噛まれた事も何度かあります。
実は昔、マスティフという大きな闘犬に顔を噛まれた事があって、1年以上顔にハッキリと傷が残っていました。
ギリギリ目に牙は入らなかったから良かったのですが、眉間にその傷がいまでもうっすら残っているのです。
それでも犬を怖がらなかった私は、家族に呆れられました(笑)
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話がズレてしまいました。
「キャットストリート」に話を戻しまして、
「キャットストリート」の渋谷側には、当時の名残の遊具が少し残っているのですよ。
やがてこの「キャットストリート」には、野良猫が集まり始めました。
周辺の住人が餌を与えるため、数は増え続け、しだいに猫だらけに〜。
これが「キャットストリート」という名の由来と言われています。
そして道路が整備され、通行人が増え始め、次第に「キャットストリート」は賑わいを増していきます。
ファッションストリートへ
この界隈には昔から、いくつかの洋裁学校がありました。
そこを卒業した人たちが自分流の洋服を作って、この辺りの洋品店に売るようになります。
この様なお店が段々と増え、「キャットストリート」はファッションストリートとして変貌していきます。
また「キャットストリート」の渋谷側の入り口付近には、都営住宅「宮下町アパート」が建てられ、1〜3号棟から成るアパートの中央には緑あふれる広場、明治通りに面した3号棟の1階には店舗があり、人の流れをつくっていきました。
1982年にはアパートの隣に、50年代のファッションと雑貨を取り扱う「ピンクドラゴン」がオープン。ロックを愛好する若者から絶大な支持を獲得します。
そして1987年頃から実施された区の整備事業によって、今の遊歩道の原形が整いました。
大きな転機となったのが、バブル!
バブルの影響もあり、表参道に有名ブランドショップが次々と出店。
が、「キャットストリート」には、表参道とは異なりストリート感覚の強いショップが集まりました。
90年代半ばから古着系やインディーズ系を中心とした個性的なショップが集い、「裏原宿」と呼ばれる流行の発信地となったのです。
ちなみに「キャストストリート」界隈では、「キャストストリート」のメインストリートよりも、「キャストストリート」と明治通りの間は家賃が安いので、若い人がお店を始めやすいという点も、個性的なショップが集い、「裏原宿」と呼ばれる流行の発信地となった理由だと思います。
ちなみに夜の「キャストストリート」と明治通りの間のエリアは、こんな感じ。
人も少なく、まだまだのどかな雰囲気が漂います。
野良猫もまだまだたくさんいるんですよ。
そして1998年「パタゴニア」、2000年「ユナイテッドアローズ」など、大型のセレクトショップなどがオープン。
現在でも「キャットストリート」は、様々なジャンルのお洋服屋さんや美容院などがオープンし続け、オシャレにこだわる若者が集まり続けています。
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ボン姉でした。